大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成11年(オ)1850号 判決 1999年5月25日

上告人 X

被上告人 Y

被拘束者 A

主文

原判決を破棄する。

本件を奈良地方裁判所に差し戻す。

理由

一  上告代理人Bの上告理由は、民訴法312条1項、2項所定の事由に当たらない。

二  職権で検討すると、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人と被上告人は、平成2年5月25日に婚姻し、上告人は平成4年○月○日に被拘束者を出産した。

上告人と被上告人との夫婦関係は平成5年春ころから円満を欠くようになり、上告人は、平成6年7月2日、被拘束者を連れて実家に戻り、以来、被上告人と別居するに至った。被上告人は、同月13日、上告人の実家を訪れたところ、上告人が不在であったことから、上告人の母の承諾を得て、被拘束者を夕食に連れ出した。被上告人は、夕食後、いったん被拘束者を上告人の実家に送り届けようとしたが、上告人が留守であったことから、そのまま被拘束者を被上告人宅に連れ帰った。被上告人は、同日、上告人に電話をかけ、被拘束者をどうするか問いかけたところ、上告人がどちらでもと返答したため、被上告人が育てる旨を告げ、以後、現在に至るまで、被拘束者を監護養育している。

2  被上告人は、平成6年9月、上告人との離婚を求める調停を申し立てたが、被拘束者の親権者をどちらにするか協議が調わず、調停は不成立となった。そこで、被上告人は、奈良地方裁判所葛城支部に離婚請求訴訟を提起し、上告人もまた離婚を求める反訴を提起し、平成8年5月28日、同支部において、上告人と被上告人とを離婚し被上告人を被拘束者の親権者と定めるとの判決がされた。しかし、上告人が親権者の指定を不服として控訴したところ、平成9年1月31日、大阪高等裁判所において、上告人を被拘束者の親権者と定めるとの判決がされ、被上告人が上告したが、同年6月30日、右上告は棄却された。

3  上告人は、これより先の平成6年12月、被上告人を相手方として、奈良家庭裁判所に被拘束者の引渡しを求める審判を申し立てたが、平成7年5月18日、右申立ては却下された。そこで、上告人は、平成8年6月11日、奈良家庭裁判所葛城支部に子の監護に関する処分(面接交渉)の調停を申し立てたが、被上告人がこれを拒んだことから、上告人は、前記離婚判決確定後の平成9年7月、右申立てを取り下げ、平成10年3月26日、本件人身保護請求をした。

4  上告人は、上告人の実家で両親及び弟と同居している。上告人は、ファッションモデルとして、平均して週に1、2回仕事をし、月収20万円程度を得ているが、その収入は不安定であり、不足分は上告人の父の援助によっている。上告人の両親は、被拘束者の養育について、物心両面において協力することを約束しており、被拘束者のための部屋も用意している。

5  被上告人は、昭和62年に医師免許を取得した医師であり、病院に勤務していたが、平成10年2月、被上告人宅から車で約5分の場所に医院を開業し、その年収は1000万円を下らない。

被上告人は、平成7年ころまでは、単身で被拘束者の監護養育を行い、その後は、交際中の女性の協力を受けるようになった。そして、被上告人と被拘束者は、平成10年1月ころから、被上告人宅から車で15分の場所にある新たに交際を始めた女性宅において、同女及びその3人の子ら(当時、小学生及び保育園児)と共に生活をするようになった。被拘束者は、右女性にもなつき、その3人の子とも仲良く、良好な健康状態で暮らしており、平成10年4月には小学校に入学している。

被上告人は、今後、右女性と婚姻し、被上告人宅で生活することを予定している。

なお、被上告人は、平成10年4月8日、奈良家庭裁判所に、被上告人を被拘束者の監護者と指定することを求める調停を申し立てたが、調停は不成立となり、右手続は、審判手続に移行した。

三  原審は、右の事実関係の下において、次のとおり判示して上告人の本件人身保護請求を棄却した。

1  上告人は、離婚訴訟において被拘束者の親権者と定められ、被拘束者を監護する権利を有する者であり、被上告人による監護は権限なしにされているものであるから、被拘束者を監護権者である上告人の監護の下に置くことが被上告人の監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、非監護権者による拘束は権限なしにされていることが顕著である場合に該当し、監護権者の請求を認容すべきものである。

2  しかし、被上告人の被拘束者に対する監護も相当長期間に達しており、もともと被上告人による被拘束者の監護は一応平穏に開始されたものであること、被上告人が平成6年7月13日以降しばらくの間単身で被拘束者を監護養育したことを考慮すると、被上告人がこれまで愛情をもって被拘束者を養育してきたことについては相当の評価がされてしかるべきである。そして、被拘束者は、父母の別居後4年余を被上告人と共に生活し、学校生活にもなじんできているのであって、本件請求を認容すれば、父母の対立の結果、被上告人のほか担任教師や友人からも離れて生活することになることを考慮すると、本件請求を認容するのは子の幸福の観点からすると相当ではないことが明らかであり、被拘束者を監護権者である上告人の監護の下に置くことが被上告人の監護の下に置くことに比べて著しく不当であるとの域に達しているというべきである。

上告人は、被拘束者に対する愛情及び監護意欲の点において欠けるところはないと考えられるが、人身保護の手続が非常救済手段であること、被上告人の申立てに係る監護者指定の審判が係属中であること等にかんがみると、本件においては、被上告人の監護が権限なしにされていることが顕著である場合には該当しない。

四  しかしながら、原審の右三の2の判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

法律上監護権を有しない者が子をその監護の下において拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて子の引渡しを請求するときは、被拘束者を監護権者である請求者の監護の下に置くことが拘束者の監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、非監護権者による拘束は権限なしにされていることが顕著である場合(人身保護規則4条)に該当し、監護権者の請求を認容すべきものとするのが相当であるところ(最高裁平成6年(オ)第1437号同年11月8日第三小法廷判決・民集48巻7号1337頁)、本件においては、上告人の被拘束者に対する愛情及び監護意欲には欠けるところがなく、監護の客観的態勢も調っているということができるから、上告人の監護の下に置くことが被拘束者の幸福の観点から著しく不当ということは到底できない。原判決の挙げる被上告人の監護が平穏に開始され、被上告人の愛情の下にその監護が長期間続いていること、被拘束者が現在の生活環境に慣れ、安定した生活をしていること等の事情は、上告人による監護が著しく不当なものであることを基礎付けるものではない。

五  そうすると、右と異なり、被拘束者を監護権者である上告人の監護の下に置くことが被上告人の監護の下に置くことに比べて著しく不当であるとの域に達しているとして、上告人の本件人身保護請求を棄却した原審の判断は、人身保護法2条、人身保護規則4条の解釈適用を誤ったものであり、この違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、本件については、原判決を職権で破棄するのが相当である。そして、前記事実関係に照らせば、上告人の本件請求は認容すべきところ、本件については、被拘束者の法廷への出頭を確保する必要があるから、原審において改めて審理判断させるのが相当と認め、これを原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 金谷利廣 奥田昌道)

上告代理人Bの上告理由

原判決には、判例違反ないし法令違反の違法があるので破棄されるべきである。

本件は、幼児についての監護権者から非監護権者に対する人身保護請求である。この種の事案につき、最高裁判所平成6年(オ)第1437号人身保護請求事件平成6年11月8日第三小法廷判決は、「法律上監護権を有しない者が幼児をその監護の下に置いて拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて幼児の引渡しを請求するときは、請求者による監護が親権等に基づくものとして特段の事情のない限り適法であるのに対して、拘束者による監護は権限なしにされているものであるから、被拘束者を監護権者である請求者の監護の下に置くことが、拘束者の監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、非監護権者による拘束は権限なしにされていることが顕著である場合(人身保護規則4条)に該当し、監護権者の請求を容認すべきものとするのが相当である」としている。

このように解する理由は、請求者と拘束者のいずれの監護が子の幸福のため適当かを平面的に比較して判断するのなら、人身保護手続の裁判所が実質上家庭裁判所に代わって親権者もしくは監護権者の指定・変更の処分をする結果となるおそれがあるからである。またこのように解しないと、親権者が親権に基づく妨害排除請求として民事訴訟により子の引渡を請求しうることが認められており、親権の濫用にわたる場合にのみその請求が排斥されるものと考えられていることとも均衡を失することとなるからである。

しかるに原判決は、「本件においては、もともと、拘束者による被拘束者の監護は、拘束者による被拘束者の奪取を機縁とするものではなく、前認定のとおり一応平穏にこれが開始したものであることを考慮しないわけにはいかない。そして、拘束者が平成6年7月13日に被拘束者との交流を求めて面接交渉をし、その後、しばらくの間単身で被拘束者を監護養育したことからすると、拘束者の被拘束者に対する愛情及びその養育に関する負担については相応の評価がなされてしかるべきであるところ、一方で、被拘束者である子の立場から見れば、父母の別居後、4年余を拘束者とともに生活して現在の学校生活にもなじんできているのであって、本件申立てを認容した場合、被拘束者は、父母の対立の結果、拘束者のほか、担任の教諭や友人らからも離れて生活することになり、これは、子の幸福の観点からすると、相当ではないことが明らかである。そうすると、本件は、被拘束者を監護権者である請求者の監護の下に置くことが拘束者の監護の下に置くことに比べて著しく不当であるとの域に達しているというべきである。もとより、前認定の事実によれば、請求者は、被拘束者に対する愛情及び監護意欲の点において欠けるところはないと考えられはするものの、人身保護の手続が非常の救済手続であり、かつ、拘束者の子の監護者の指定の審判が係属中であることに鑑みると、右の審判手続において拘束者の申立てが却下された場合に改めて人身保護の申立てをするのは格別、本件においては、拘束者による被拘束者の監護が権限なしにされていることが顕著である場合には該当しないと解するのが相当である。そうすると、本件申立ては棄却を免れない。」と述べているが、これは、右最高裁判決が否定した「請求者と拘束者のいずれの監護が子の幸福のため適当かを平面的に比較して判断」されたものにすぎない。しかし本件においては、請求者である上告人は、被拘束者の親権者であり、その監護をする権利を有する者であるのに対し、被上告人は、被拘束者の父であるとはいえ、監護権を有しない者であるから、被拘束者を上告人の監護の下に置くことが、被上告人の監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、被上告人による拘束は権限なしにされていることが顕著である場合に該当し、上告人の請求を認容すべきところ、本件事実関係に照らすと、被拘束者の監護について、上告人は、被上告人に比べて全ての環境の面において、優るとも劣らないものであり、また被拘束者に対する愛情及び監護意欲の点においても、同じく優るとも劣らないと考えられるのであって、そのような本件において、親権者である上告人が被拘束者を監護することが著しく不当なものであるとは到底言うことができない。また上告人の被上告人に対する本件人身保護請求事件の訴提起後、被上告人から上告人に対してなされた家庭裁判所に対する監護権の指定を求める審判が係属しているが、そのことが本件人身保護請求事件に、何らの影響を及ぼさないものであることは、法令解釈上すこぶる当然のことであるばかりか、既に確立された判例である(最三小判昭47・7・25、昭和47年(オ)第460号)。

この点においても、原審の判断には、法令の適用の誤りないしは判例違反がある。

また原審の判断に基づけば、一般的に人身保護の請求に対して、拘束者から監護者の指定申立がなされれば、その申立の結論を待たなければ、人身保護請求事件は進行されないこととなり人身保護法のもつ救済としての法制度の意義を全く減却してしまうことになり、到底許されないものである。この点においても、原審の判断には法令違反、判例違反があると言わざるを得ない。

そうすると原審の判断は、人身保護法2条、人身保護規則4条の解釈、適用を誤ったものであり、この違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

本件上告は理由があり、破棄を免れない。

以上

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